CREATOR
高見友幸
大阪電気通信大学総合情報学部デジタルゲーム学科教授
2009
02.13
大阪電気通信大学、高見研究室
「KAKEHASHI」第2回目のインタビューは、大阪電気通信大学の高見友幸教授。電通大の高見研究室にお邪魔してきました!
先生の研究分野は、「組み込みシステム設計」「電離圏物理学」「計測情報処理」と、私のような一般人が聞くと「・・・???」と頭の上にハテナをいっぱい飛ばしたくなるような内容です・・・。
だからなのか、学生の方々と一緒に、作品のデモを準備していてくださいました!!
部屋に入ると、結構明るくて、大きな机の上に、巨大な白~い板が。そして、横にあるパソコンを繋ぐと、パソコンの画面が白い板の上に映し出されました。一見、普通のプロジェクターのように見えますが・・・?
まず、プロジェクターに映し出された画面に、指でタッチしてみました。すると、その指を認識して、光が集まってきます。そして別の人も画面をタッチ。そこにも光が集まっています。5人で画面をタッチすると、その指の数だけ、光が・・・。これって、ひとつの画面に触れた5つの指が、同時に認識されているってこと?
高見:普通、パソコンってひとつのマウスで指示するでしょう?これだと、ひとつの画面で複数の指示ができるんですよ。みんなで画面がタッチできると楽しいでしょ。この技術を応用して、学生が楽しいアプリを作ってくれたんです。
鍵盤のようなものが映し出されて、音楽が流れ出しました。画面上で、鍵盤の上から棒が降ってきます。その棒に合わせて鍵盤の上に指を置くと・・・ピアノのように音が鳴るわけですね!!指をマウスと判断して音を鳴らしてくれるみたいです!
しかも、驚いたことに、2つも3つも同時に鍵盤がおさえられるんです。確かに、いくつもの指に対応しています!
さらに、画面に出されるいくつもの点に同時に反応するということで、違うアプリもデモしてくださいました。
まるい円の中に、かわいいアニメで描かれたハチがたくさん飛んでます。先生が、「手でハチを中に集めてみてください」と。先生、意味がわかりませんが…?良く分からないまま、ハチの画面をちょっと触ってみると、なんとハチがビュッと飛んで私が触れたところを避けてしまいました。エッ…!?そのまま周りを両手を使ってみんなで囲んでいくと、全員の手をハチが避けて、真ん中に寄っていきました。確かに真ん中に集まりました!!
パソコンの画面のはずなのに、いくつも手の触れた場所を認識して動くなんて・・・
これは一体何なんでしょうか?さっそく、先生にお話を伺いました。
パソコンで、10個・20個のマウスが同時に使えると思って頂ければ分かりやすいです。スクリーンの手前に置いてある小さい四角い部品がありますよね。あそこから、レーダーのビームが出ているんですよ。レーダーの標的をタッチパネルのペンの代わりに利用して、同時にいくつもの動きを認識させるプログラムを組んでアプリを作ってみたという感じです。私たちが触ったところを認識して、マウスのような役割でパソコンに伝えている。これを使うことで何か所も同時にクリックすることができるようになるわけなんですよ。
これは、工場のロボットの部品としてよく使われているらしいです。これ、30m先までビームが届くんですよ。それって、使い方次第ではすごい可能性があって。たとえば、研究室のみんなが今やりたいと思っているのは、グランドを全力疾走して絵を描くアプリ(笑)ビームが30m先まで届くんだから、それだけ大きな空間を入力装置として使うことができるんですよね。
そうですねぇ。でも、コラボレートって、すごく難しいと思うんですよ。プログラマーの思うとおりにデザイナーはデザインしてくれないし、プログラマーはデザイナーのセンスも才能も持ち合わせていないから、さあどうしたらいいでしょう(笑)。それに最近は、アート系の人がプログラムを自分たちでやろうとしている動きがありますよね。コラボするよりも、アートの人がプログラムを勉強するほうが断然早いんじゃないかと。
僕は、デザイナーやプログラマーが、お互いかけている部分を勉強して、集約していくほうがより質の高いメディアアートを生むと思ってます。今、デザイン系の学生の必修の授業を持っていて、プログラムを教えていますが、その学生たちが4年生になるとき、自分たちでプログラムを組んでアートの可能性をもっと広げていってくれればいいな、と思っていますよ。
確かにそうですね。他の人が開発したものを違う用途で使う、という発想は、技術者や研究者にしか考えられないものかもしれないですね。その視点でいうと、文字通りKAKEHASHIです。
翌日のゲーム学会の準備であわただしい中、デモまで見せて頂き大感謝でした!見せて頂いたデモを作った学生さんも、「この部分はデザイン学科の友達に、どんなデザインにするか相談しました」とおっしゃっていましたし、作品自体もけっこうアート的でした。